雑記:思い出と言葉

はじめに
こんにちは!
エッセーです。
今回は、雑記です。書籍を読んで思ったことをつらつらと書いていきます。
先日紹介した本の『消えたい』では、養育者によって感情を教えてもらえなかった人が、他者と感情を共有できず、記憶と呼ばれるものが形成されないことを書きました。
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言語と意味がつながらないと、人間は言葉を使いこなせません。感情や感覚に関する言葉も、その言葉を知らなければ他者にその感情や感覚を伝えることができません。
言葉の学習は主に養育者の影響が大きいため、私達があたかも生まれつき持っているかのような感情は、養育者のおかげで、言葉に込めることができるようになったものと考えられます。
(逆に言うと、養育者によって育まれた感情以外は、取りこぼされた感情と言えるでしょう。本当は人間には、多くの取りこぼされた感情があるのかもしれません。が、この辺の考えはまた今度書きます。)
そこで、ふと、思いました。
言語化できないから思い出に残りにくいのであれば、逆もまた然りではないか?と。
言語化すれば、思い出に残るのではないか、と。
この「読んだ感じたブログ」では、本を読んで感じたことを書くことがあります。
記事にした内容は、他の人にも上手く説明ができたり、時間が経った後も思い出すことができます。個人的な感覚ですが、言語化には、整理・定着の観点でかなり実用性があります。
言語の役割とは?
言語とは、自身以外に伝えるためのツールです。
自身以外とは、他者と、過去の自分と、未来の自分です。
時間・場所を共有する他人と感情を共有して思い出を作るなら、言葉を紡いで未来の自分に感覚を伝えることもできるかと思います。
言葉以外にも、感情と感覚の表現方法は、音楽や絵画などもありますし、書道や歌のように、複数の要素の組み合わせもあります。
感情や感覚を出すことは、思考の整理になることもありますし、さらに”その向こう”に行けることも有ります。特にネガティブな感情は、紙に書き出したり、誰かに相談することが大きな前進になることがあります。
ただ、言葉に感情を結びつけると、本当の感情が言葉によって歪む場合もあります。言葉にできない、とか表現しきれない、と感じているものを無理やり言葉にすると安っぽくなりますよね。
ただ、言葉にしないとわかんないのも確かなんですよね。難しいところです。
SNSでの発信について
なんにしろ、素晴らしい気持ちがあるなら、きっとそれは、何かしらの形で表現したほうがいい気がします。そのほうが、未来の自分もきっと嬉しい気がします。
では、SNSで感情や感覚を積極的に発信する人はどのような感覚になるのでしょうか。
一度、いろいろな人の意見を聞いてみたいなぁ。
SNSで、思い出はできていますか?
SNSで、感情や感覚は前に進めていますか?
あなたはどうでしょうか?
まとめ
まとめるほどでも無いかもしれませんが、簡単に、
・表現してやっと他者に伝えられるようになる
・表現することと共有することが、思い出を作ることにとって大事
・感情や感覚の表現方法は、多く持っておいたほうが良いと言えそう
おわりに
今回は雑記でしたが、いかがだったでしょうか。
たまには、また書こうと思います。
お題とか、読んでみたい内容とかあったら、送ってください。
稚拙ながら、書かせていただくかもしれません。
今回はこの辺で。
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