ナチスの収容所を生き残るのに必要だった”希望”とは?

ナチスの収容所を生き残るのに必要だった”希望”とは?

はじめに

 こんにちは!
 エッセーです。

 今回紹介する本は、フランクルの「夜と霧」です。

 この本、以前からめちゃくちゃ読みたかったんですよ~

 Kindleセールで安くならないかなぁ、とずっと思ってたんですが、ついに我慢できなくなって買っちゃいました。

 タイトルは、第2次世界大戦時に、ナチスが夜と霧にまぎれてユダヤ人を一家まるごと連行し、突然住んでいる人が誰もいなくなる「夜と霧作戦」から来ています。ユダヤ人で精神科医の著者の、ホロコーストの体験を通して書かれた研究書です。

 ただの研究書ではなく、実は精神病の治療効果の有る本なんです。申し訳ないくらい安っぽく言うと、「読むだけで病んだ気持ちが軽くなる研究書」です。

 ついに買って読めたので、今回はその紹介をしていきます!

内容の構成

 フランクルによると、収容所に入れられたユダヤ人の心理状況は3段階で変化するそうです。

 第一段階は収容所に入ったときの収容所ショックとも呼ばれる段階。
 第二段階は収容所の生活に慣れた時の段階。
 そして最後が収容所から解放された時の段階です。

時系列順に別れていて、本書でもこの順番に心理状態を追っていっています。このブログでは、第二段階について書いていきます。

第二段階: 収容所の生活に慣れた時の段階

 収容所に入れられてしまった人はいずれ、収容所の生活に慣れていきます。(簡単に言いますが、家族と離れ離れになり、暴力と理不尽と空腹と重労働にまみれた、この上なく劣悪な環境です。)

 そして収容所でのおぞましい経験を通して、彼らはどんどん感情を無くしていきます。

 また、死体への関心をなくし、暴力に対する感情もなくなっていきます。

 精神状態はどんどん幼稚になっていき、そして、ついには人生を諦めてしまう人もいました。

 収容所は、ほんの少しの運の違いで、生と死が分かれた世界でもあります。

 少しでも不健康そうな人はガス室に送られたりします。ひげが伸びて顔が暗く見えたりしてもガス室送りになったりします。赤十字軍の助けで収容所から開放され、別の場所に輸送されたら、そこで建物に閉じ込められて火を放たれ、命を落とすこともあります。

 このような理不尽の中でも、生き続けられる人はいました。著者によると、その生きる人と死ぬ人の違いは、「未来への希望」が有るか無いかだそうです。

希望がないと死ぬ?

 著者によると、未来への希望を持ち続けた人間は、生き続けたそうです。

 象徴的な例を紹介します。キリスト教の文化に強く根付いたヨーロッパでは、クリスマスは特別な日です。日本では恋人と過ごす日になっていますが、ヨーロッパの風習では、クリスマスは家族で過ごすのが普通です。

 つまり、ヨーロッパでは、「クリスマス=家族と合う日」なのです。その希望は収容所の人も持っていました。しかし、ナチスにとってはそんなものは関係ないので、クリスマスでもユダヤ人を開放することは有りませんでした。

 その結果、クリスマスの日やその後で、死者が急激に増加しました。希望がなくなったのです。

生きるための「未来への希望」とは?

 クリスマスもいわば生きるための希望でした。しかし、それはクリスマスになれば「家族と会える」という幻想でした。本当の生きるための希望は、このようなものでは有りません。この生きるための希望は、生きる意味とも置き換えられます。

 多くの人は”人生の意味”を求めています。特にそれを意識していない人も、「生きていればきっといいことが有る」と思っていたりします。この”人生の意味”を180度変えるのが、フランクルの考え方です。

 私達自身が意味を人生に問うているのではなく、
 私達自身が意味を人生から問いかけられている

というのがフランクルの考える、生きるための「未来への希望」の基礎です。

未来への希望には、苦しみがある

 フランクルは未来への希望には苦しみと使命が必要であると説いています。
 偉大な人物の映画には必ず困難と苦しみが入っています。それを乗り越えるからこそ偉大になるのです。

 この苦しみが出てくるのは、使命感です。

 この使命感こそが未来への希望になるのです。

 この使命感は、人生から問われている意味の各個人の答えでもあり、生きる責任でもあります。

 「夜と霧」では、ドストエフスキーの「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」という言葉を引用し、この使命感と一緒に苦しみについての大切さをとても強調しています。

 クリスマスになれば家族に会えるという、自信の欲求を満たすための幻想ではなく、苦しみ耐えて、自身の意味を達成することの大事さが書かれています。

未来への希望で生きた人

 自分自身の人生の意味を見出し、無事にホロコーストから生き延びた人の例を紹介します。

 収容者の中にはよく、「生きることになんの希望も持てない」と、自殺願望を持つ人がいました。その中の一人には、外国で過ごす子供がいた。それこそ、目に入れても痛くないほど愛した子供がいた。

 フランクルはその自殺願望者に、子供に注がれる愛にとって、唯一の父親である当人の大事さを思い出させ、生きることの責任を思い起こさせると、その人は生きることから降りられなくなり、どのような生活にも耐えられるようになったそうです。

 このように自分自身の人生の意味を見つけた人は無事にホロコーストを生き延びることができました。過酷な環境だからこそ、意思の持ち方によって、生きるか死ぬかが分かれたのです。

今回感じたことのまとめ

今回は、感じたことが多かったので、簡単にまとめます。
・自信の欲求や願望と同じ方向性のものは、人生の意味ではない
・使命感と苦しみが人生の意味の要素
・人生の意味の回答権は私達自身

終わりに

 今の時代では、多くの人が追い求めている数字があると思います(資産、名誉、友人数、フォロワー数、影響力などなど)。しかし、苦しむほどの価値の有るものは無い気がします(至極個人的な意見)。

 おおよそ、
 未来への希望=責任=使命→苦しみ
 という構図があります。苦しみが生じても逃げ出さない(逃げ出せない)ほどの覚悟が、生きる希望なのかもしれません。

 現代は、使命感がなくても生きていける時代です。この時代でも、私はフランクルの「未来への希望」は大事な考え方だと思います。きっとこの考え方は、生命力の源なのだと思います。

 使命というのは、かなりキリスト教っぽい考え方ですので、そのあたりの理解が有ると、もっと深まった解釈ができるのかもしれませんね。

 今回はこのへんで。

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 ではでは。