教養が大事って言うけど、結局教養ってなんなの!?

教養が大事って言うけど、結局教養ってなんなの!?

はじめに

 こんにちは!
 エッセーです。

 今回は書籍、倉山満著 『 トップの教養 ビジネスエリートが使いこなす「武器としての知力」』の書感を書いていきます。Kindle Unlimitedで見つけて、「教養を身につけられるのかなぁ。」と思って読んでみました。

 この本は、政治学や軍事を中心に現在の日本の廃れ具合を、織田信長などの歴史上の人物の例と比較して、説明している本です。そのため、リベラルアーツ的な幅広い教養にはなっていません。(表紙に思いっきりLiberal artsって書いているのに!なんでだよ!)

教養とはどういうものか?

 タイトルにあるように、この本は教養について書かれた本です。しかし、内容はかなり政治学によっています。「教養の本なのに、どう言う事だ?もっと幅広い知識が書かれてはいないのか?」と私は思いました。

 そもそも、教養についての認識が私と著者とで違っていたようです。著者によると、教養かどうかのポイントは以下だそうです。

・あなたは何の専門家か?
・知りたい知識はその専門の前提となる知識であるか?
・最低限、己のプライドが満たされるレベルまで知れているか?

 自身の専門性に基づく範囲で、必要以上に踏み込まず、かといって知識不足でないレベルである事が、この著者の言う教養のようです。この本を教養の本と言っているのは、この著者にとっての教養の範囲は、政治学などの範囲であったためです。

 んじゃ、ガッチガチの理論物理の専門家が熱力学の本を「教養の本だー!」って言っててもいいのだが、果たしてそれで大丈夫なのだろうか?専門外の人は困りそうだが、それでいいのだろうか?

世の中にあふれる教養ってどれも大切なの?

 とはいえ、この考え方は、日々の勉強の中で、とてもやくに立つのではないでしょうか?私たちは日々、情報の洪水に晒されていて、その中から、自身のためになるものを、教養として身につけています。

 しかし、一体この教養とは何かをどれだけ深く考えているでしょうか。不必要に雑学を集めることと、教養を身につけることは何が違うのでしょうか。この本の、教養に関する説明は、その問いに対する一つの答えになりうるのではないでしょうか。

 ”自身の専門に沿ったものでないなら教養でない”と割り切るところは、”生活に役に立たない学問はするべきでない”とする福沢諭吉の考えにも通づるものがあります。世の中、教養と呼ばれるものはいっぱいありますが、全てがすべて、役に立つわけではないですから、取捨選択が必要になってきますね。

 関連ブログ:情報を取捨選択する時代にこそ読むべき『学問のすゝめ』

おわりに

 今回は、教養についての考え方について書きました。教養って人によって解釈が異なるので(冒頭の私のように、教養=Liberal artsとも考えている人もいるのでは?)、絶対的な教養の基準があるのではなく、数ある教養の基準のうちの、その一つが今回のものだと考えると良いと思います。

 ただ、Liberal artsって表紙に入れているのに、社会の部分にばかり触れて、人文科学や自然科学に触れないのは、いかがなものかと思ったりするぞ(怒)。

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ではでは。