変わる! 男の生き辛さと女の生き辛さ

変わる! 男の生き辛さと女の生き辛さ

はじめに

 男らしさ、女らしさで悩んでいる人はどのような人かと聞かれると、あなたはセクシャルマイノリティーのことを思い浮かべるかもしれない。確かに自分が自覚している性と、生物学的な性や周りからみられている性が一致していないときに、生きづらさを感じていると言える。

しかし、今回紹介する本『モテる構造 ──男と女の社会学 (山田昌弘)』は、その全く逆の人々、つまり、「私は生物学的な性別も、周りや自分の認識での性別も一致している」と思っている人が感じる生きづらさについて述べている。この生きる辛さの原因と、今後起きるであろう、生き辛さの変化についてまとめていく。

アイデンティティの源で、生き辛さの原因とは?

 筆者は、男ならば男らしくしなければならない、女ならば女らしくしなければならないと言うような規範意識のことを、「らしさ規範」と呼んでいる。代表的なものは、男は働いてお金を手に入れ、女は家を守るといった価値観にもとづくべき理論などだろう。

 この「らしさ規範」は看護師に女性が多いイメージなどのように、社会的な役割のものもあれば、スカートをはく男性が少ないことなどのような、ファッションや趣味の嗜好傾向などにも見られる。この規範に沿わない人たちに対して、人々は違和感を感じたり、ときには嫌悪感を感じる。

 「らしさ規範」は、その名前から、人々を制限しているように聞こえるだろうが、この規範によって人々は自分自身が男である、もしくは女であることを周りに示し、自覚することができる。つまり、”こうあるべき”という規範によって縛られることで、人々は男らしく、または女らしく生きられるのである。

 当然、男らしい男や女らしい女は自然と社会的に受け入れられやすく、また異性に惹かれやすくなる。どんな人を好きになるのかは確かに人それぞれだが、実は魅力的な異性のイメージは「らしさ規範」によって決まっている。個人的な好みの根底にある男性もしくは女性に求める像は生まれつき持っているのではなく、社会的に醸成された「らしさ規範」によって決まるのである。実際に私たちは、テレビや教育などのメディアを通して、子供の頃から男らしさや女らしさがどういうものかを学習し、魅力的な異性の判断に利用しているのである。

 この「らしさ規範」は生き辛さに深く結びついている。何かしらの分類(今回では男と女)があるときに、人々がその生き辛いと感じてるのは以下の2つの場合である。

  • そのどちらに所属しているのかが分からない時
  • 望んでいない方に所属していて、所属を変えることができない時

 逆に、「らしさ規範」を望んでうまく利用することができる人は、間違いなく所属している分類を自他共にはっきりと認識し、「私は女(または男)なのだ」と自身のアイデンティティの拠り所にすることができる。

以前の男女の「らしさ規範」でも、生き辛い人はいた

 以前であれば男は外で稼ぐことで男らしさを証明していた。そこでは競争に打ち勝ち評価されることによって異性からの評価も得ることができるようになった。つまり世の中的にできる男はモテる男であった。
 この構図はとてもシンプルだが、できない男にとってはとても厳しい状況となる。経済的に成功できなかった男性は男らしく無いと判断され、女性からも世間からも見放されてしまうためだ。そのためか、男性のホームレスは多い。

 逆に女は家で家事を行い人への思いやりを示すことで女らしさ示していた。男性とは対照的に競争することや評価を求めるような事は女らしさとは関係がなかった。このことから、社会的にできない女性でも異性から見放されることがないため、男性よりもリスクが少ないと考えることができる。しかし、できる女かつモテる女であろうとする女性は、できる男かつモテる男を目指す男性よりも多くの労力をさかなければならないことになり、生き辛さを感じることになる。

今後の男女を取り巻く環境と、必要な変化

 ニューエコノミーになり、男女を取り巻く環境は変わった。長期雇用が保障されなくなり男でも不安定な経済状況に置かれはじめ、IT職などの女性でも働きやすい職が出てきたおかげで、女性の社会進出が容易になった。その結果、これまで生き辛かったできない男と、できる女が増えてくることになる。そのため「男は外、女は内」といった以前の価値観に合わない男性と女性が出てくるのである。この結果、労働や家事で男らしさや女らしさを示しにくくなってきたのである。

 できない男性とできる女性が増加する世の中で、「男は外、女は内」の価値観を持ち続けることは、間違いなく男性にとっても女性にとっても行きづらい世の中になる。これを避けるためには、男女の「らしさ規範」を、現在の状況にマッチするように、社会的に醸成し直すことが必要である。つまり、以前はヒモと呼ばれていたような(家を守るが)仕事のできない男と、(家のことは人に任せたい)仕事ができる女が社会的にも恋愛的にも受け入れられやすい世の中にすることが大事なのである。

おわりに

 今回は、生き辛さについてまとめましたが。いかがでしたでしょうか、私は現在20歳後半なのですが、恋愛対象の判断ではすでに「らしさ規範」は変わってきたように思います。医者の女性と結婚して「働かなくていいよ」と言ってもらえている友人がいますし、実際、共働きの夫婦を珍しいとは思いません。しかし、まだまだ仕事をしていない男性に対する視線は冷たいですし、女流棋士が化粧をしている時間を将棋の勉強に当てれないとこぼした話があったりもします。自主性を持ってありたい自分、らしい自分を出しやすい世の中になってほしい。

 今回紹介した本『モテる構造 ──男と女の社会学 (山田昌弘)』のタイトルは、正直言って内容に合っていないと考える。実際には男女の「らしさ」に向ける人々の感情の非対称性(女性らしい行動を男性がするのに比べ、オリンピックなどのスポーツで女性が活躍するように男性らしい行動を女性がすることが認められやすい理由など)についてよく書かれている。気になるかたは読んでみてはいかがだろうか。

最後に、社会学というものに私が大きな興味を持つきっかけとなった文章を引用して終わる。

社会的制約を明らかにすることは、自分の置かれている枠を明らかにすることである。その枠を明らかにしてこそ、枠を飛び出る自由、および、枠の中にとどまる自由を得る。
[中略]
社会学の役割は、見えなかった枠を明らかにすることだと思っている。それが、人生の多様な選択肢を可能にする条件となる、つまり主体性につながるのだと思う。

モテる構造 ──男と女の社会学 (山田昌弘)